シャーロック・ホームズの紹介(10)
ホームズの生涯と事件
シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)は世界で最初の諮問探偵(Consulting Detective)です。
彼は田舎の大地主の子孫であり、フランスの画家ヴェルネの孫にあたるそうです。
しかし、何時生まれたかは分からず、また父と母は不明です。
また彼が亡くなったという話も聞きません。今も元気に生きているそうです。
‘My ancestors were completely squires, who appear to have led much the same life as is natural to their class. But, none the less, my turn that way is in my veins, and may have come with my grandmother, who was the sister of Vernet, the French artist. Art in the blood is liable to take the strangest forms.’
(The Greek Interpreter)
「僕の先祖というのは代々いなかの大地主だったのだが、みなその階級にふさわしい大同小異の生活していたらしい。だがこの性向はやはり血統からきている。たぶん祖母から受け継いだものらしい。この祖母はヴェルネというフランス人の画家の妹にあたるんだが、えてして芸術家の血統はいろんな変わった人物を作り出すものだ。」
大学の二年のとき、友人の父親の助言によりただの趣味であった推理力を職業に生かそうと決心します。
“…I don’t know how you manage this, Mr Holmes, but it seems to me that all the detectives of fact and of fancy would be children in your hands. That’s your line of life, sir, and you may take the word of a man who has seen something of the world.”
(The‘Gloria Scott)
『ホームズ君はいったいどうしてこれまでになったのか知らないが、実存の人物でも架空の人物でも、今までの探偵なんかあんたの前へ出たら、子供のようなもんじゃ。あなたはこれからこれで身をたてなさるんじゃな。これは世の中というものをいくらか知っている者のいうことだから、信用しても間違いはない』
こうして、ホームズは諮問探偵として、「グロリア・スコット号事件」(1874年)から「覆面の下宿人」(1896年)までの23年間にわたって活躍しました。
この中には、長編の「緋色の研究」(1881年)、「四つの署名」(1888年)、「恐怖谷」(1888年)、「バスカヴィル家の犬」(1889年)が含まれています。なお途中の「最後の事件」(1891年)から「空き家の冒険」(1894年)の3年間は大空白時代でしたが、この間もホームズはモリアーティ教授の犯罪組織の摘発と解体に専念していたということです。探偵業の再開後、相棒のワトソンが、ホームズの輝かしい経歴を危うくしかけた、例の長年愛飲していたあの薬物を何年もかけて徐々にやめさせたのはこの時期です。
For years I had gradually weaned him from that drug mania which had threatened once to check his remarkable career. Now I knew that under ordinary conditions he no longer craved for this artificial stimulus; … .
(The missing Three-Quarter)
その輝かしい経歴を一度はおびやかしかけた麻薬嗜好の悪癖を、私は何年もかかって徐々に捨てさせた。いまでは普通の状態では、もはや彼もこの人為の刺激を求めようとはしなかったが、・・・。
1895年、ヴィクトリア女王に拝謁したが、ナイトの爵位は辞退しています。1903年(または1904年)に人里は離れた、サセックス・ダウンズの農場に引退しました。
The friends of Mr Sherlock Holmes will be glad to learn that he is still alive and well, though somewhat crippled by occasional attacks of rheumatism. He has, for many years, lived in a small farm upon the Downs five miles from Eastbourne, where his time is divided between philosophy and agriculture.
(His Last Bow, Preface)
ワトソンによれば、友人シャーロック・ホームズは時々リウマチに悩まされるけれど、今も元気に生きているそうです。イーストボロウから五マイル離れたダウンズの小さな農園にもう何年も暮らし、ここで彼は晴耕雨読の生活を送っているということです。
しかし、引退生活とはいえ、すっかり事件から足を流したというわけではなく、引退後もいくつかの事件の解決に携わりました。最後の最後は、ドイツに偽りの情報を大量に送り込み、傑出したドイツのスパイのフォン・ボルクを逮捕した「最後の挨拶」(1914年)という事件がありました。
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